第21話 高松の池の水

今回は高松の池の水に関する話題です。

高松の池が藩政時代に造られた「上田堤」の名残であることは以前紹介しました。
上田地域を水害から守るために造られたこの堤は、南部藩の町づくりに大きく貢献しました。

また堤の水は農業用水に利用され、この地域一帯に豊かな水田地帯が拡がる要因にもなりました。
冷たい沢水が上田堤で一旦貯められることで温まり、他の地域より稲の発育に適した水を供給できたそうです。
ですから、昔から上田には凶作は起こらなかったといいます。

このように人びとに様々な恩恵をもたらした上田堤ですが、時に大きな災害を起こすこともありました。
寛文10年には堤が決壊し、多くの人家が流され甚大な被害をもたらしたそうです。
またそれ以降も何度か堤が壊れ、溺死者が出たり、家屋流失などを引き起こしました。

このような水害を防ぐために、堤の水門を管理する役職も設けられました。
袴田家という一族が、代々堤守(つつみもり)として水門の管理を任されました。

大雨や日照りなど気象条件を見ながら、常に堤の放水量を調節していたそうです。
昔は田に水を張る時期になると、池の水はかなり浅くなり、素手で魚が採れたそうです。
多くの人がザルやカゴ抱えてフナやウナギを採りにやってきたといいます。

現在の高松の池にも西側に放流水門が設置されています。
過去にはこの水門から池の水を大量に抜いたこともあったそうです。

その時の話を、池の畔にある「月の石・火星の石展示館」館長・矢内桂三先生が、映画の中でお話し下さいました。
それによると、なんと池の底はゴミだらけだったそうです。
あらゆるものが沈んでいて、厚くヘドロが堆積していたとか。

なかでも先生が一番驚いたのは、壊した家の一部がそのまま捨てられていたこと。
どうしてそんなものを高松の池に捨てるのでしょうか…。

人々の暮らしのために作られ、さらに心をも癒し続けてきた高松の池が、いま人間の生み出したゴミや廃棄物で汚されています。
その時矢内先生がもらした「なんとかしなきゃ…」という呟きが忘れられません。

盛岡の人々の憩いの場、高松の池をいつまでも美しく保ってほしいと願います。

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